レトロゲームの思い出
第4世代機の思い出
ファミ男も1980年代〜90年代後半までのゲームを中心に集めて研究?しています。
( ̄^ ̄)ゞ✨
しかし…ファミ男はどうもゲームを体験したりその場所に行かないと信じられなかったり…
あるいはファミ男が当時体験した事でしか書くことが出来ない性格なんです。
なのでこのブログにファミ男の思い出を書き込む事で当時の思い出とかが貴重な体験として残って語り継がれれば良いと思いここに記して行きたいと思います。
ただ、結構記憶が曖昧な点と話を盛ってる可能性もあるので話半分程度に見てくれたら嬉しいです。
- 第4世代ゲーム機の思い出
ネットの情報を見る限りだと…
こちらのゲーム機種が第4世代という事が載ってました。
ファミ男はスーパーファミコンを中心にプレイしてまして…
この頃に出てたネオジオやPCエンジンの存在を当時全く知らなかったのが事実です。
かろうじてメガドライブの存在は、近所のお兄さんの父親がメガドライブ関連の会社に働いてるという情報を聞いていたので知ってる程度で、ソニック・ザ・ヘッジホッグ以外あまりソフトも知りません。
なのでスーパーファミコンはファミ男の思い出の基本だと思います。
ファミコンに育てられた男というタイトルで本を書いたフジタさんという方が、有名なプロレトロゲームコレクターとしていらっしゃいますが…
恐らくファミ男はその次の世代のスーパーファミコンに育てられた男になるかと思います。
ただこの時期ファミコンでは星のカービィなどが発売されていたので、まだファミコン人気はあったと思います。
しかし子供ってのは単純な生き物で…
進化していく映像や内容…この時期はアニメドラゴンボールとかネットの普及が無い時代でもあったので、おもちゃ屋さんに行って毎週見に行くたびに新しいゲームソフトなどが展示されてるのを見ると興奮して早く買いたいという購買意欲が盛んだった時期でもありました。
第4世代のゲーム機は前の第3世代と違って高額ソフトが多く出回った時期でもありますので、その高額ソフトの値段が、ある意味で当時の子供や大人がとても大切にする良いきっかけになった理由でもあったと思います。
なので第4世代ゲーム機と聞かれたら…ソフトが高額だという事を知らない世代の人たちに話しそうです。
ファミ男もかろうじてスーパーファミコンを買った当時の思い出があります。
大きな箱に入ってるスーパーファミコンの箱を開けてすぐにゲームプレイ。
なので正直箱にはあんまり思い出がなく、箱の中身のスーパーファミコンに思い出が集中してます。
ツルツルしたボタンが4つついてて…
子供が好きそうなカラフルなボタン色…
スベスベしたコントローラーと十字キー…
英語表記がカッコよく見えて子供心を惹きつける魅力…
なのでファミ男は最初ゲームは日本ではなく海外から作られて発売されてるのだと勘違いしてました。
皆さんはそう思った方はいらっしゃるのか分かりませんが、あの当時は日本のゲームが海外で作られてきて送られてきたと思ってましたし…
逆に海外で日本のゲームが売られてるなんて知りもしなかった事実です。
つい最近になって海外でも人気があったという事を知った次第です。
特にこの2つはファミ男の中で電気が走るぐらいに感動した記憶あります。
アクトレイザーはファミコンとは違った迫力あるBGMと映像の進化…さらに細かくぶれない画質に正座しながら近所のお兄さんのプレイを見てたファミ男。
残念ながらこの発売時期はファミ男も小さかったので、上手く操作が出来ない上に難しいゲームだったので見てる事しかできなかったんですけど…それでも見てるだけで楽しくなってしまう魅力あるアクトレイザーでした。
そしてスーパーファミコンの思い出の基本を作ってくれたのがスーパーマリオワールドだったと思います。
スーパーマリオワールドはやはり子供がプレイすると難しいですし、当時まだスーパーファミコンの操作性に慣れて無かったので何回も何回もゲームオーバーになってたファミ男。
しかしアクトレイザーとは違ってマリオは日本のゲーム界では1番有名なキャラクターでもありシリーズ化されてほとんど操作性が変わらなかったので、何度も繰り返しやる度に上達していって、当時クリア出来たかどうかも記憶が曖昧なんですけど…スーパーマリオワールドを慣れた頃には、スーパーファミコンの操作が不思議と…どのスーパーファミソフトでも出来るようになったので、ゲームっていうのは不思議なもんです。
- スーパーファミコンの思い出 ぷよぷよ・スーパーボンバーマン
当時難しい操作技術に悪戦苦闘してスーパーファミコン。
ファミコンに慣れてた高齢の人達が嫌がってプレイしてたのを見てたファミ男。
いつの時代でもボタンなどが多くなって複雑になると操作が難しくなってやりたくなくなる気持ちは変わらないと思うんですが…
そんなスーパーファミコンの中でも簡単に操作できてみんなで楽しめるゲームも出ました。まるでそういう困った人達を助けてくれるような救世主的なゲームです。
ぷよぷよはファミコン版で発売されてるという事を当時ファミ男は知らなかったんですけど…
スーパーファミコンで出てファミ男の家にいつの間にかあり、誰が買ったのかも覚えてないんですけど、このゲームも老若男女問わず出来た家族を一緒にさせる素晴らしいゲームでした。
祖母がぷよぷよをやっていたんですけど、最初はやはりやりたくないようなジェスチャーをしてるんですが…
孫のファミ男が勧めたり簡単な操作方法を家族が教えると、普通に出来るようになるので、誰でも安心して出来るようになれる初心者向けゲームでした。
その他にもスーパーボンバーマンなどもありました。
スーパーボンバーマンの良さってのは新しくシリーズで出てても基本操作が変わらなかった所だと思います。
操作が変わらないのでこちらも老若男女問わず出来たゲームの一つです。
新しくなっても工夫次第では面白いゲームであり続けるゲームもあると思います。
スーパーボンバーマン2なんかは祖母なんかもバリバリ出来てたので、初心者にも優しくプレイ出来ていたゲームでした。
みんなで楽しくゲームをするという趣旨でプレイ出来るので、しばらく根強く人気があったボンバーマンでした。
当時はこんな感じでお茶の間でみんなでやろうみたいな感じがありましたけど、今はネットがあるので違った感じで盛り上がるみたいです。
負けたら罰ゲームなんかもありましたし…
スーパーファミコンソフトには多くの思い出が詰まってるのは確かです。
というファミ男のただの雑談で終わりそうなんですが…
Twitterにまだ書いてない思い出を最後に…
当時近所の家でゲームを多く所持してる人は中々居なかったと思います。
理由は高額ソフトのゲームが多かったので、今みたいに安いゲームが発売される事自体が珍しかったと思います。
なので友達の家に入り込むと、気の毒な感じで大きなテレビの下にあるビデオデッキとかを置くテレビ台の所に、お菓子の銀の缶?みたいな所に数本スーパーファミコンソフトが多数あるぐらいだった記憶あります。
ファミ男の家はたまたま貧乏でもゲームだけは買える家庭だったのと、親戚からいらなくなったゲームソフトを多数もらえたりする環境にあったので、色々とゲームをプレイさせてもらえました。
なので友達はファミ男の狭い家にわざわざ来る子が多かったです。
理由はゲームソフトが多かったり、自由に何時間でもゲームが出来てお菓子もいっぱい出たりする所に魅力を感じたみたいです。
ある意味でレトロゲームコレクターのフジタさんの著書ファミコンに育てられた男の話を聞いて、ファミコンからスーパーファミコンに世代は変わっても受け継がれる所は受け継がれていってたんだと思いました。
スーパーファミコンというのは90年代の日本の歴史に多く思い出を残してくれた大切なゲーム機だったという事を書き込みたくて書きました。
そしてあの頃からいつのまにか30年も時が経ってしまったのだと分かった瞬間…あっという間だということも思ったファミ男でした。